顔-1
東京の近郊にごく普通に学校に通う少年がいた。中学生の彼は「どこにでもいる」「特徴のない」といったような形容詞がぴったりとはまるような容姿と性格をしていた。学校でもほかの生徒と同じように笑い、たまには怒った顔をして喧嘩もした。表情は比較的豊かでクラスの人気者でも嫌われ者でもなかった。学業もトップクラスでもなく、赤点ギリギリでもなかった。
そんないたって普通の彼にはひとつ秘密があった。
分娩室から元気な赤ん坊の泣き声が響いた。しかし、産声の他に声を上げる者はいなかった。現場は静寂に包まれ、部屋の外からはただ赤ん坊が一人で泣いているような部屋に聞こえていたことだろう。
赤ん坊を取り出した医師は絶句していた。それを眺める看護師らも言葉を失い、母親は目を強く閉じてうなだれていた。泣き叫ぶ赤ん坊の顔は健常者のそれではなかった。
眼球は今にも零れ落ちてしまいそうなほど飛び出し、プチプチとした小さな音を立てて動く。鼻は完全につぶれ、形などなく、ただ壁に二つ穴が開いているような具合だった。口は不自然なほど大きく、右側のほほまで避けていて、唇の色はただれたような紫に変色していた。泣き叫ぶ声と共に、大量のよだれが裂けた口から零れ落ちる。お世辞にも「かわいい男の子ですよ」などと言える代物ではなかった。
翌日、医師は病棟のベッドの上で深く考え事をしているような母親にひとつ提案した。最新の技術で顔の模造品が作れるらしい。それをつかってみてはどうか。母親は考える時間をくれといって、静かにカーテンを閉めた。医師は大きくため息をついた。
半年後、醜い彼のために顔が作られた。技術は時代と共に著しいほど進歩しており、最先端の仕様の顔が作られた。その顔は生後数か月の赤ん坊の顔のそれだったが、一年、また一年と経つたびに年を取るらしい。移植はせず、いつでも取り外しが効くようになっている。使い方はお面とほとんど同じで、顔につける、それだけである。ぴったりとくっつくリアルで生きた面は、お面とは感じさせないほど彼の顔に馴染んだ。こうしてひとまず普通の赤ん坊となった息子をみて、両親はほんの少しだが、安堵したようだった。
中学生の普通の少年の秘密、それは彼には顔がないということだった。
いつものように学校が終わった彼は、家に帰ると息苦しそうに面を外し、ギョロつく目に乾燥防止用の目薬を差し、顔の汗を拭いた。手入れが終わると机に置いてあるスパゲティを裂けた口で器用に食べた。トマトの酸味が口に広がるころ、彼は昔のことを考えていた。
あれは幼稚園の頃だったろうか、砂場で遊んでいるとき、顔がしんどいくらいに蒸れてきて、耐えきれず友達の前でお面を外したことがある。結果は阿鼻叫喚、園児は泣き叫び、全力で逃げていった。仲良くしてくれたA君、B君、Cちゃんも。大人は信じられないという目で見る人、かわいそうにと憐れむ人、気持ち悪そうに様子をうかがう人、嫌悪感をあらわにする人、様々だった。僕は何が何やらわからなくなり、その場で大声で泣いた。その様子も醜く、おぞましかったことだろう。
家に帰ると母は血相を変え、泣きながら僕を叱りつけた。夜になると返ってきた父と何やら難しいことを話し合って、そのあと一家はすぐに遠くに引っ越すことになった。僕は大荷物と共に軽自動車の後部座席に詰められ、長く揺られた。その時真っ暗な窓の外の景色を見ながら、小さな頭で理解したことがある。
「みんなは僕じゃなくて僕のお面と話していた」
後部座席に一緒に転がっているお面。このお面こそがかつていた幼稚園の園児であり、A君、B君、Cちゃんと仲良くしていたのだ。はて、じゃあ僕はいったい何者なんだろうか。この世に存在していいのだろうか。お母さんはお面と僕、どっちを僕だと思っているんだろうか。
嫌なことを思い出してしまっていた。机の上のスパゲティはほとんど冷めきってしまっていた。まずくなった小麦粉の塊を胃に詰め込むと、ひとまず満足してテレビをつけた。特に面白くもない番組を惰性で見ていると電話の着信音がテレビの音に遮られながらも小さく鳴っているのが聞こえてきた。見たこともない番号、おそるおそる出ると聞き覚えの全くない低い男の声が受話器から響く。
「やあ、○○くんだよね?電話じゃなくて直接話したいことがあるから、今度会わないかい?」
「ど、どちらさまでしょうか・・・?」
「あ、忘れちゃってるか、そういや生まれたばかりのときに会ったぶりだから覚えているわけがないな。ハハッ。俺はね、」
「君の顔を作った技術者ってやつだよ」
続く
メロスは激怒した。
メロスは激怒した。30分くらいで終わると思われたセリヌンティウスの恋愛話にかれこれ3時間以上付き合わされているのである。
怪訝な雰囲気をそこはかとなく醸し出すメロスなど気にも止めず、セリヌンティウスは自分の身の上話をまるで全世界が熱狂しているニュースを議論しているかのように話しかけてくる。
「それで私がどう思ったかわかる?」
メロスは激怒した。それはさっきも言ったではないか、「もう男が信じられなくなった」であろう。さっきから会話が何度も何度も繰り返されている。ああ、これは終わりの見えない輪廻だ、と。
輪廻を作り出すセリヌンティウスはさらにこう続ける。
「はあ、これ、今度ディオニスと一緒に三人でもう一回話し合わない?」
メロスは激怒した。今回だけで休日の貴重な三時間が溶けているというのにこの無価値な会合にまた私を招こうというのか。貴様は人間の金ではなく時間を食いつぶす暴君に違いない、と。
怒りに震えるメロスを見てやっとセリヌンティウスは長々と自分の話ばかりしていたことに気付く。これでは会話のキャッチボールが成立していない。とっさにこう言い放つ。
「メロスは最近どうなの?あいつとはうまくやってるの?」
メロスは歓喜した。パッと顔が明るくなったかと思うと元気よく話し始めた。セリヌンティウスはうんうんと嬉しそうにうなづきながら話を聞いた。
3時間後
セリヌンティウスは激怒した。
テーマ:話の長い人が実験の諮問になったのでその腹いせに書きました。
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世の中の人間は二種類に分けられる。これを見て「アッ!」と分かる人と分からない人だ。
ちなみに元ネタはxvideosやpornhubといった海外アダルトサイトで何かしらの理由で削除された動画のリンクを踏んだ時に表示される注意文で、多くの来訪者の失念を生み出してきた言葉である。
sudo rm -rf ../
これはどうだろう。
これはLinuxを使っているときの今のファイルを全削除するコマンドである。よくバグが起きてどうやったら治るかわかんない!などど喚いているとおすすめされるコマンドだ。
むかついたものがあるときsudo rm -rf 課題/ と使う応用例もある。
114514
この6文字の数列は何だろう。これは今なお世の中を魅了し続けているホモビ男優の野獣先輩の大名言「いいよこいよ」を数字としてあらわしたものである。
言いたいこと
元ネタや今の発言のどこがおかしいかを説明すると、ネタは突如として纏っていたおかしさがなくなり、文字通り「笑えなく」なる。しかし、おかしな部分の説明を受けた後また聞くときには少しは笑えるようになっていることがある。
最初に一部の人にしか伝わらないスラングを紹介したわけだが、こういった言葉のやり取りから面白いことがわかる。
笑いの発生原因の一つは元ネタがわかることである。
いわばなぞなぞだ。話者は問を投げ、あなたはそれを解く。解けるとおかしくなって、笑みがこぼれ、解けないとはて、意味が分からないとなる。そして解き方を後で学ぶどうかはあなた次第となる。
これは上に示した「ネットスラング」のほかに「ものまね」「替え歌」「ダジャレ」も含まれる。なんなら「学校への文句」もこの類の笑いの構成要素の一つだろう。
話者が仕掛けた「おかしな部分」は一部の人しか読み解くことができない。そしてその「おかしな部分」に暗黙的に気付けたとき、笑いが発生する。
話の面白い人はこれを無意識にやっていて本当にすごいなと思う時がある。小さいころから何を言ったときによい反応が返ってくるか知らず知らずのうちに学習して感覚が先鋭化されているのだろうなと思う。
また聞く側も元ネタを理解するにはある程度の知識が前提となってくる。様々なことを聞いて学ぶことは福沢諭吉がめちゃめちゃ日本人におすすめしてきたのだが、心から笑える話題を増やすためにも学問、雑学は役立っていると感じた。
行為
世界には、宇宙には歴史がある。この歴史はあらゆる物体の動き、現象によってゆっくりと、膨大に積み重ねられてきた。そして現在に至るまで大きな物語の木のようにすくすくと成長している。あなたが今日行った行為の一つ一つは膨大に枝分かれした枝の先にそっと葉を添えている事と同じである。
今日僕はコンビニエンスストアでチョコレートを買った。これはいったいどうして可能になったのだろう。
過去を考えていく。行為の過去の構成要素は二つ「行為をした者」「環境」この二つだ。
まずは行為をした者、つまり僕のことを考える。なぜチョコを買ったのだろうか。原因はいくらでも出てくる。「糖分が足りていなかったから」「コンビニの隣を通ることで口が寂しくなったから」。原因の原因も考えられる。その原因だってでてくる。考え出すと芋づる式につながった原因は僕の人生の物語を一つ一つ丁寧に掘り出していく。
「小さなころ、母にねだってチョコを買ってもらっていたなあ、あの時からチョコが好きだっんだな、そういえば、初めて食べたときはどんなだったんだろう」
チョコを買うということは紛れもなく自分の生きていきた結果の行為であるし、これからの行為の原因となっていくこともわかる。
次に環境、つまりコンビニのことを考える。コンビニになる前は何だったのだろうか。僕はふとした興味で今日利用したコンビニの歴史を調べてみた。コンビニになる前は小さな定食屋で、昭和にはそこそこにぎわっていたらしい。時代が進むとともに経営不振となり、つぶれ、跡継ぎがフランチャイズに手を出し、現在のコンビニになったらしい。
目をつぶれば、夜遅くまで働く学生バイトのあくび、コンビニの改装のために汗をかいて働く工事のおっさんのため息、賑わう定食屋で大声で注文するひとと野球中継で店内を沸かせるテレビ、不確かではないがそういったところまで想像が及ぶ。
チョコの製造会社までたどって、コンビニ店との契約や製品開発のために奮起する人々を想像してみてもよいかもしれない。
チョコの原料であるカカオの産出国、ガーナまで戻り、低賃金で働かされる子供たちとフェアトレードの成り立ちまで飛ぶのもよいかもしれない。
はて、僕はチョコを買っただけだ。チョコを手に取るという小さな行為の土台にはたくさんの物語、人々がひっそりと息をしている。小さな頭では一瞬では理解できないし、全ての行為を意識していくこともできない。でも確かにそこに、圧倒的な何かがあるということは疑いようもない真実だった。
運動
ずっと寝ていた。ずっとずっと。約一年間、たまに起きて、本を読んだり、ゲームをしたりして過ごしていた。家からは一歩も出ていない。この部屋は狭い。5畳で物がたくさんだ。床は日本の伝統にならった畳が敷かれ、壁には汚れがところどころある。置いてある棚には物がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれ、今にも落ちてきそうだ。本日も今しがた食べ終わったばかりのお菓子の袋をさらに詰め込む。ギチチッという小さい音とともに棚はゴミを飲み込む。満足して身を翻し、雑多に敷かれた布団の上に転がり、大きくため息をついた。キッチンの方からいつものように異臭が漂ってくる。重い腰を持ち上げ、窓を開けた。外からおっさんの大きなくしゃみの音が飛び込んできた。
本を一冊読み終えた。心底つまらないと思った。いつものように努力もしない勇者が美少女にもてはやされながら世界を救った。小説は非現実を書いて読者を楽しませてくれるが、今じゃ読者にワクワクする世界を提供して当たり前なのだ。こんなありふれた話はまったく非現実でもなんでもない、勇者が美少女に囲まれて世界を救うのはそこらへんで毎日のように起きている些細なことだ。
夜中の二時ごろ、いつものように惰性でせっせと親指を動かし、スマホでアダルトサイトを巡って今晩の主役を決めかねていた。時間をかけるほどハードルが上がって八方塞がりになるが、この謎の探求時間がよいのだ。
突然、部屋に「キャー!」と甲高い女の悲鳴が響いた。一瞬驚嘆して、身を固めていたが、生来の野次馬精神、高ぶった好奇心で軽くなった体をすっと起こすと、スリッパも履かずにベランダに出た。悲鳴の方角をみて目を疑った。肌色、肌色、肌色。裸だ!女が裸で外にいる!全身の皮膚が鳥肌を立てていくのを感じた。
「これだよ、これが非現実だ!」
女の事情は知らないが、君が今晩の主役だ。おめでとう。しかし、よく見えない。遠くで裸でうずくまっていることは分かるが、表情までは鮮明には見えない。自分の目が悪いことも相まって、やけにぼやけて見える。しかも、建物が邪魔で女の半身しか捉えることができない。唾を飲み込むと、脱ぎ捨ててあったパンツとズボンを勢いよく履き、買ってから一度も使ってない一眼レフをゴミ山から引きずり出した。ドアまで駆け足気味に近づいて、そして一瞬立ち止まった。一年間家を出て居なくて怖気づいたのだ。しかし、女の裸の前で怖気づくなど男として失格だ、世紀の大事件に立ち会わなくてどうする、と自分を鼓舞し、勢いよくドアを開けた。飛び込んでくる新鮮な空気をかき分けて女の元へと走っていった。
現場に到着したとき、女の姿はなかった。ひさしぶりに走ったせいか、息があがり、心臓が飛び出しそうなほど強く拍動していた。体は文字通り悲鳴を上げ、節々が痛んだ。吐きそうなほど気持ち悪かった。それから落ち着いて探してみたが、女はどこにもいなかった。出番のなかった一眼レフをだらしなくぶら下げ、諦めて帰ることにした。
帰っていく途中、体に力がみなぎるのを感じた。確かに死ぬほど疲れはしたが、それとは違う、心の充足感というものを感じていた。部屋に帰ると、あまりに汚い惨状を再認識した。これは、気分が悪くなる、そう思ってその日は朝まで片づけをした。
次の日、きれいな部屋で起きるとまた運動がしたくなってきた。寝巻だったジャージをぴっしりと着て、少量ながらでも外で運動をした。
次の日、その次の日も外で運動をした。数十時間ゲームをすることも、家から一歩も出ないことも、延々とアダルトサイトを回ることもいつの間にかなくなっていた。一年間、あんな狭くて汚い部屋の中で一体自分は何をしていたのだろうか。
ある日、カフェで雑誌を読んでいると外から「キャー」という甲高い女の悲鳴が聞こえた。自分の目線は雑誌のスポーツ欄から離れることはなかった。この世にはそんなことよりもっと面白いものがたくさんある。
テーマ:今日久しぶりに運動して気持ちがよかった。
サメ
サメが好きだ。
この一言に尽きる、僕はどんなものよりもサメが好きだ。
幼稚園の頃、水族館で初めてサメを見たとき、頭に電撃が走った。水族館に泳ぐそれは一目で僕の心を奪っていった。どんな心でも見透かしてしまいそうな目、しなやかに尖った頭部、美しいヒレ。その時見たのはオグロジロザメだったが、この世のどんなものよりも素晴らしく見えた。
それからというもの、僕の生活はサメでいっぱいになった。小遣いはサメの人形、水族館への入場料金、サメのぬいぐるみなどにほとんど費やし、家でも画像を漁ったり、動画を見たりした。日々の思考、時間、お金、ほぼすべてがサメに費やされた。
そんな生活が続いて、中学生となったある日、学校で将来の夢を書く授業があった。悩むことはない、僕は「サメを家で飼う!」というテーマですぐに作文を仕上げた。他の生徒は上の空で、天井を見上げて延々と考えているか、適当に当たり障りのないことを書いているようだった。僕はそれを見て、勝ち誇ったように感じていたのだが、すぐに先生に書き直しをくらってしまった。先生は「サメ博士になりたい」に書き直せという。飼えるのだったらなってやるよ、と思った。
それからというもの、僕はサメ博士と言われているものになるべく、サメに関する勉強を始めた。ツマジロザメ、ウバザメ、主要なサメの名前はもちろんのこと、えさや生態、分布図までも暗記した。サメの勉強は楽しい、自分の好きなことだから当たり前だ。でも学校でやる勉強には実が入らなかった。数学の複雑な記号とサメとの間になんの関係があるというのだ。一気にやる気が失せる。そして授業中にサメ図鑑を開いた。これがなかなかやめられないのだ。
高校一年となったとき、僕は部屋で発展的なサメの生態についての本を読んでいた。その本はどこかの有名大学の教授、つまりは僕の目指すべきサメ博士が書いたものだった。内容はというと、サメの行動範囲と分布についてだった。個体群やら、成長曲線やら、小難しい生物学の単語が並んでいた。そしてなにより驚いたのが、あの嫌いだったΣ記号も、サメの個体群分析の図の解説に使われていたことだった。なんてこった。さぼってきたあの数学はここで必要になるのか・・・。
それからというもの、サメに関係のある分野はとことん勉強した。遺伝子学、統計学、解析学。サメの生態の神秘に迫るにはあらゆる手段をもって調べ上げなければならない。サメ博士になるためにどんな努力も惜しまなかった。
大学受験の勉強はほとんどしなかった。サメの勉強の時間を奪うだけだ。僕はサメの研究が一番進んでいる海洋専門の大学に面接での試験に挑んだ。結構緊張していたのだが、面接官が目をキラキラさせて僕が考案した新しいサメの研究法を聞いていたものだから、こちらも楽しくなってしまって、ついつい話し込んでしまった。共有の知見が前提にある楽しい会話だった。面接の最後にありがたい言葉をもらった。
「合格だよ、本当は言っちゃだめなんだけどね、君は素晴らしいよ。」
僕も面接官もキラキラとした目で見つめあっていたと思う。
大学に入ると、それはそれは最高の毎日だった。理解に時間のかかっていた理学の用語が一流教授、またはサメ博士によって黒板の上に明快に示されていくのだ。授業中にわからないことがあっても、後で聞きに行くと、教授はいやな顔一つせずに受け答えてくれた。そしてサメ博士とはサメについて深く深く語り合った。
大学の図書館も最高だった。地方の図書館や店頭では置いてないような知見の詰まった本が所狭しと並べられていて、最高に好奇心をくすぐられた。時間があるときはいつも決まって図書館に行って、豪快に、食うように本を読んだ。
そして大学四年となったとき、僕に転機が訪れた。なんと片手間にやっていた数値解析の成績が優秀であったことから、大学の数学同好会のメンバーに数学のコンテストへの参加を頼まれたのだ。そのときは時間の無駄だと思って断ったのだが、勧誘がこれまたしつこかった。まあ実力試しで行くのも悪くないと思って、コンテストに出てみることにした。
コンテストでは他の有名大チームの生徒がたくさん来ていた。とても賢そうな眼鏡をかけていて、きっと僕の脳みそを約5倍に圧縮したようなものがあの頭の中に詰まっているんだろうな、かないっこない、てきとうにやって帰ろう。そう思っていた。しかし、コンテストが始まって周りを見てみると案外大したことないことが分かった。そういえば、僕だって賢そうな顔をしているじゃないか。僕はチームのほとんどの問題をほぼすべて一人で解いた。結果は総合二位、素晴らしい成績だった。チームメイトは興奮して僕の背中をバンバン叩いていた。素晴らしいほどの高揚感。僕はそのコンクールで、僕には数学への才能と興味があることを認識した。
それからというもの、僕は夢中で数学をやった。毎日、毎日、寝る間も惜しんでやった。数学に関係のある分野だったら何にでも手を出した。解析のためのプログラミング、数学の応用例を知るための物理学。サメへの興味は数式やコードを刻むたびに少しずつ、少しずつ薄れていった。
大学院に進むとき、僕は有名大の数学の研究チームからの強いオファーを受けて、そこに進むことにした。そこでいくつもの大きなプロジェクトを任され、有意義な時間を過ごした。死んでしまうように辛い日もあったが、本当に楽しい毎日だった。充実感と達成感、それに溢れていた。自信をもって書き上げた論文の内容も理学界に多少なりの影響を与えることができたらしい。僕はきっと数学者になるんだろうな、と心の中でそっと思っていた。
久しぶりに実家に帰ったとき、親が思い出したようにタンスからサメの人形を引っ張り出してきた。長い間経っていて、サメのヒレはひとつもげており、空いた穴から綿が飛び出していた。僕は下宿先から持って帰ってきた数学の功績に関するトロフィや賞状を机の上にそっと置いた。そして強く、強く、人形を抱きしめた。
テーマ:どう転んでも報われる努力をする人
ぷにぷにした黒い玉
–電話–
「先月のサークル後の帰り道だったっけ?そう、そのはずだ。俺はそん時ほろ酔い状態で道端に黒くて丸い何かが落ちてんの見つけたんだ。で、変にテカッてやがるから気になって拾ってみたんだ。」
「道に落ちてるもん拾うなよ・・・。」
「まあ、いいだろーが、別に変に汚かったわけでもなかったから。で、その黒いのさわり心地がすげーいいんだよ、ぷにぷにしてて、たまらん!辛抱ならん!って感じ。俺、いいもん拾ったと思って家に持って帰ったんだよ。キッチンで洗ってきれいにして。ほら、洗ったから汚いとかもう言うなよ? で、なんだっけ、そう、それで意外にすげーきれいな色してんだよ、これがな。黒に少し紫がかってて、大きさはだいたい手のひらサイズ、それで布団に入って一晩中それを触ったり見てたりしてたわけよ。」
「へえ、そうなんだぁ。」
「もっと興味持って聞けよな。けっこう大事件なんだよ。それでそいつをその晩じゅうずっと揉んだんだよ、ほら、俺一度だけ、元カノのおっぱい揉んだことあんだけど。そのスーパー感動エピソード前に伝えたじゃん?手に神が宿ったって。あれよりも感動したね、俺にはもうおっぱいは必要ない、無敵だって思ったよ。」
「お前のシモを使えば最高の表現力を繰り出せる点は畏怖に値するわ。」
「おう、もっと崇め奉れ。で、その次の日も早起きして、朝、家を出る時間までずっと触った。学校行ってる間は触らなくていいやって思って家に置いてきたんだけど、これが間違いだった。学校で手が寂しくて寂しくて、あのぷにぷにしたやつを触りたい!触りたい!って心が叫んでたんだよ。もう授業に集中どころじゃなかったね。頭で何度も触った感覚を思い出してた。おっぱいなんかより100倍夢中になってしまったんだよ。」
「怖いな、なんかその、黒いの。マンガ読むのやめたわ。」
「読んでたのかよ、真面目に聞いてくれよ。それで、その日はサークルにも行かず、家に帰って、そいつを触りまくったわけ、一人暮らしなの知ってたっけ?誰にも盗まれる心配はないわけ、多分家族の誰かが触れたら取り合いになるからな、あれは。それで一晩中ずっと触ってた。学校の課題があったから左手で触りながら課題をやったよ、片手でキーボード入力って難しいぜ。」
「なんか俺の中でも魅力をまとい始めてきたんだけど、その玉。そんなに触りたくなるのか?」
「すごいぜ?盗られるから触らせてやんねーけど。それでその日からその玉を学校に持っていくようになった。変なもの握ってるの人に見られるとなんか恥ずかしいから、トイレとか、一人になるときに取り出して触った。触るとなんだか心の平穏を保てるような気持ちになってな。でも気が付くと30分経ってたなんてこともあって大変だったぜ?トイレで腹を壊し切ったやつとか呼ばれたからな。大腸がミジンコレベルとか言われたわ。」
「ははっ、まあでも、頭はミジンコレベルだろ」
「やかましいわ、それで、聞いてくれよ、これが大変でな。どんどん触る癖が悪化して、大学に行かなくなり始めたんだよ」
「はぁ?マジ?学費払ってる親に謝れよ。」
「いや、あの玉の魅力はやべえんだよ。朝起きてから大学行く時間になってても触ってて、あと五分だけ、いやあと五分。とか。どんどん時間が増えていって結局一日が終わってたなんてこともあった。」
「お前、留年するんじゃないの?勉強好きで結構頑張ってるイメージあったのに。」
「なんか・・・逆らえなかった。時間がみるみるうちに玉に飲み込まれていく感じがしたよ。焦ったけど、不思議とやめられないんだ。」
「もしかして、今も触ってんの?」
「うん、右手に持ってる。おれ、この玉をよく調べて、複製かなんかを作って世の中に売り出そうって考えてるんだけど。いいアイデアだと思わない?」
「いや、話聞いたところだと、俺は欲しくないわ、なんか気持ちわりぃし・・・。」
「ええ・・・。手伝ってほしかったのに、この玉調べようにも玉に夢中で時間が取れないんだよ。」
「ん、でもなぁ。それより大学の単位は?大丈夫そうなのか?」
「いや、ここ一か月は行ってないし、課題も出してない、これから行くつもりもあんまりないかも。そんなことよりさ、玉の画像送るから調べてみてくんない?」
「うーん、お前、その玉今捨てろ。すぐだ。」
「え?何言ってんの?やだよ。これから調べるんだし。」
「だめだ。すぐ捨てろ。」
「絶対に断る。というか無理だ。捨てないし、だれにも渡さない。捨てれないが近いな。俺の生活に溶け込んだんだよ。携帯とかといっしょ。お前だって今すぐ携帯捨てろって言われて捨てないだろ?」
「人間は携帯を使っている。お前は玉に使わさせられている。それだけ。だから捨てろ。」
「やだね。協力は無理そうだね?電話切るよ?」
「お前住所変わってないよな?」
「変わってないけどなんで?」
「いいよ、切れよ」
「来るなよ?」
「はいはい」
「……………………………………..」
–記事–
YYYY年M月D日 夕読新聞
「学生アパートで死亡。トラブルによる殺人か」
県警によると事件は午前2時頃に発生。「アパートの隣で大声でトラブルがあった」との110番通報があり、大学二年生の●田×郎さんが室内で死亡しているのが見つかった。7畳の部屋の中央付近にうつぶせのような状態で倒れていた。首には強く絞めた跡があり、首の圧迫による窒息が死因とされた。血液検査の結果から、高校の頃の同級生だった●島×太(19)さんが容疑者としてあがり、現在身柄を拘束している。
–会話–
「頼む返してくれ、それがないと気がおかしくなるんだ。やめてくれ。ここから出してくれ。返してくれ。ダメなんだよ。それがないと。頼む。返せ。返せ。頼む。死んじまうよ。狂っちまう。返してくれよ。」
「捜査で色々わかったんだけど、結構仲のいい友達だったんだろ?そいつを殺してもいいほどこの玉が大事だったのか?」
「うるさい!黙れ!返せよ!早く!お前も殺すぞ!」
「うーん、話を聞かないなぁ、君は、こりゃあ裁判に連れていける状態じゃないぞ。」
「裁判なんてどうでもいい!もういいから返して!返さないんだったらいっそ殺してくれ!死んじまう!ああ!早くしろ!どっちかにしろ!」
「とりあえず、留置所、うつってもらうから。ね。落ち着いたらまたお話しよう。」
「やだ。やだ。殺してくれ、殺せ。殺せ。」
「……………………………………………….」
「いやー、しかし、この玉、触ってて癖になるな。持って帰ってもバレないかな・・・。」
テーマ:ゲーム、動画サイトで私生活に問題を起こすほど時間を浪費する人