てけけ日記

フィックショーン!

行為

世界には、宇宙には歴史がある。この歴史はあらゆる物体の動き、現象によってゆっくりと、膨大に積み重ねられてきた。そして現在に至るまで大きな物語の木のようにすくすくと成長している。あなたが今日行った行為の一つ一つは膨大に枝分かれした枝の先にそっと葉を添えている事と同じである。


今日僕はコンビニエンスストアでチョコレートを買った。これはいったいどうして可能になったのだろう。


過去を考えていく。行為の過去の構成要素は二つ「行為をした者」「環境」この二つだ。

まずは行為をした者、つまり僕のことを考える。なぜチョコを買ったのだろうか。原因はいくらでも出てくる。「糖分が足りていなかったから」「コンビニの隣を通ることで口が寂しくなったから」。原因の原因も考えられる。その原因だってでてくる。考え出すと芋づる式につながった原因は僕の人生の物語を一つ一つ丁寧に掘り出していく。

「小さなころ、母にねだってチョコを買ってもらっていたなあ、あの時からチョコが好きだっんだな、そういえば、初めて食べたときはどんなだったんだろう」

チョコを買うということは紛れもなく自分の生きていきた結果の行為であるし、これからの行為の原因となっていくこともわかる。


次に環境、つまりコンビニのことを考える。コンビニになる前は何だったのだろうか。僕はふとした興味で今日利用したコンビニの歴史を調べてみた。コンビニになる前は小さな定食屋で、昭和にはそこそこにぎわっていたらしい。時代が進むとともに経営不振となり、つぶれ、跡継ぎがフランチャイズに手を出し、現在のコンビニになったらしい。

目をつぶれば、夜遅くまで働く学生バイトのあくび、コンビニの改装のために汗をかいて働く工事のおっさんのため息、賑わう定食屋で大声で注文するひとと野球中継で店内を沸かせるテレビ、不確かではないがそういったところまで想像が及ぶ。

チョコの製造会社までたどって、コンビニ店との契約や製品開発のために奮起する人々を想像してみてもよいかもしれない。

チョコの原料であるカカオの産出国、ガーナまで戻り、低賃金で働かされる子供たちとフェアトレードの成り立ちまで飛ぶのもよいかもしれない。

はて、僕はチョコを買っただけだ。チョコを手に取るという小さな行為の土台にはたくさんの物語、人々がひっそりと息をしている。小さな頭では一瞬では理解できないし、全ての行為を意識していくこともできない。でも確かにそこに、圧倒的な何かがあるということは疑いようもない真実だった。