てけけ日記

フィックショーン!

サメ

サメが好きだ。

この一言に尽きる、僕はどんなものよりもサメが好きだ。


幼稚園の頃、水族館で初めてサメを見たとき、頭に電撃が走った。水族館に泳ぐそれは一目で僕の心を奪っていった。どんな心でも見透かしてしまいそうな目、しなやかに尖った頭部、美しいヒレ。その時見たのはオグロジロザメだったが、この世のどんなものよりも素晴らしく見えた。

それからというもの、僕の生活はサメでいっぱいになった。小遣いはサメの人形、水族館への入場料金、サメのぬいぐるみなどにほとんど費やし、家でも画像を漁ったり、動画を見たりした。日々の思考、時間、お金、ほぼすべてがサメに費やされた。

そんな生活が続いて、中学生となったある日、学校で将来の夢を書く授業があった。悩むことはない、僕は「サメを家で飼う!」というテーマですぐに作文を仕上げた。他の生徒は上の空で、天井を見上げて延々と考えているか、適当に当たり障りのないことを書いているようだった。僕はそれを見て、勝ち誇ったように感じていたのだが、すぐに先生に書き直しをくらってしまった。先生は「サメ博士になりたい」に書き直せという。飼えるのだったらなってやるよ、と思った。

それからというもの、僕はサメ博士と言われているものになるべく、サメに関する勉強を始めた。ツマジロザメ、ウバザメ、主要なサメの名前はもちろんのこと、えさや生態、分布図までも暗記した。サメの勉強は楽しい、自分の好きなことだから当たり前だ。でも学校でやる勉強には実が入らなかった。数学の複雑な記号とサメとの間になんの関係があるというのだ。一気にやる気が失せる。そして授業中にサメ図鑑を開いた。これがなかなかやめられないのだ。


高校一年となったとき、僕は部屋で発展的なサメの生態についての本を読んでいた。その本はどこかの有名大学の教授、つまりは僕の目指すべきサメ博士が書いたものだった。内容はというと、サメの行動範囲と分布についてだった。個体群やら、成長曲線やら、小難しい生物学の単語が並んでいた。そしてなにより驚いたのが、あの嫌いだったΣ記号も、サメの個体群分析の図の解説に使われていたことだった。なんてこった。さぼってきたあの数学はここで必要になるのか・・・。

それからというもの、サメに関係のある分野はとことん勉強した。遺伝子学、統計学解析学。サメの生態の神秘に迫るにはあらゆる手段をもって調べ上げなければならない。サメ博士になるためにどんな努力も惜しまなかった。


大学受験の勉強はほとんどしなかった。サメの勉強の時間を奪うだけだ。僕はサメの研究が一番進んでいる海洋専門の大学に面接での試験に挑んだ。結構緊張していたのだが、面接官が目をキラキラさせて僕が考案した新しいサメの研究法を聞いていたものだから、こちらも楽しくなってしまって、ついつい話し込んでしまった。共有の知見が前提にある楽しい会話だった。面接の最後にありがたい言葉をもらった。

「合格だよ、本当は言っちゃだめなんだけどね、君は素晴らしいよ。」

僕も面接官もキラキラとした目で見つめあっていたと思う。


大学に入ると、それはそれは最高の毎日だった。理解に時間のかかっていた理学の用語が一流教授、またはサメ博士によって黒板の上に明快に示されていくのだ。授業中にわからないことがあっても、後で聞きに行くと、教授はいやな顔一つせずに受け答えてくれた。そしてサメ博士とはサメについて深く深く語り合った。

大学の図書館も最高だった。地方の図書館や店頭では置いてないような知見の詰まった本が所狭しと並べられていて、最高に好奇心をくすぐられた。時間があるときはいつも決まって図書館に行って、豪快に、食うように本を読んだ。


そして大学四年となったとき、僕に転機が訪れた。なんと片手間にやっていた数値解析の成績が優秀であったことから、大学の数学同好会のメンバーに数学のコンテストへの参加を頼まれたのだ。そのときは時間の無駄だと思って断ったのだが、勧誘がこれまたしつこかった。まあ実力試しで行くのも悪くないと思って、コンテストに出てみることにした。

コンテストでは他の有名大チームの生徒がたくさん来ていた。とても賢そうな眼鏡をかけていて、きっと僕の脳みそを約5倍に圧縮したようなものがあの頭の中に詰まっているんだろうな、かないっこない、てきとうにやって帰ろう。そう思っていた。しかし、コンテストが始まって周りを見てみると案外大したことないことが分かった。そういえば、僕だって賢そうな顔をしているじゃないか。僕はチームのほとんどの問題をほぼすべて一人で解いた。結果は総合二位、素晴らしい成績だった。チームメイトは興奮して僕の背中をバンバン叩いていた。素晴らしいほどの高揚感。僕はそのコンクールで、僕には数学への才能と興味があることを認識した。

それからというもの、僕は夢中で数学をやった。毎日、毎日、寝る間も惜しんでやった。数学に関係のある分野だったら何にでも手を出した。解析のためのプログラミング、数学の応用例を知るための物理学。サメへの興味は数式やコードを刻むたびに少しずつ、少しずつ薄れていった。


大学院に進むとき、僕は有名大の数学の研究チームからの強いオファーを受けて、そこに進むことにした。そこでいくつもの大きなプロジェクトを任され、有意義な時間を過ごした。死んでしまうように辛い日もあったが、本当に楽しい毎日だった。充実感と達成感、それに溢れていた。自信をもって書き上げた論文の内容も理学界に多少なりの影響を与えることができたらしい。僕はきっと数学者になるんだろうな、と心の中でそっと思っていた。


久しぶりに実家に帰ったとき、親が思い出したようにタンスからサメの人形を引っ張り出してきた。長い間経っていて、サメのヒレはひとつもげており、空いた穴から綿が飛び出していた。僕は下宿先から持って帰ってきた数学の功績に関するトロフィや賞状を机の上にそっと置いた。そして強く、強く、人形を抱きしめた。


テーマ:どう転んでも報われる努力をする人